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Break Through

スタッフによるリレーコラム

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『エンジニアによるベンチャー起業のすすめ』 5月号

成功の秘訣:人生をかけること

4月号で「ヴェニスの商人」についてベンチャーとの関係に触れましたが読者の皆さんから、「面白い!ヴェニスの商人のうまい新解釈ですね」という反応が返ってきました。ところが私は、ヴェニスの商人を「上手に新解釈で」ベンチャーに結びつけたわけではありません。この芝居は、「16世紀にシェイクスピアがベンチャーそのものを喜劇に書いた芝居」なのです。その証拠に、開演すぐ、三つめのセリフの冒頭に「Venture」という単語が出てきます。例えば「ヴェニスの商人」における冒頭第一セリフの投資家アントーニオの悩ましい心境は、まさにベンチャーに携わる人間の心境を見事に描写しています。「正に今価値があると思ったものが、一瞬先には無価値となる」まさにベンチャーの世界は、ドタバタ喜劇として、最高の題材です。現在の日本で、この芝居を日本のベンチャーのドタバタに翻案する事は簡単にできるでしょう。(将来時間と資金の余裕が出きれば、私も是非やってみたいと思っています。)

さて、ヴェニスの投資家アントーニオの友人バッサーニオは、箱選びによって妻を得ます。その箱選びをエンジニアの皆さんとしっしょにしながら、ベンチャーに関する重要な事項を確認して行きましょう。

金の箱の銘:「私を選ぶものは、多くの人が望むものを手に入れるだろう」

モロッコ大公が間違って金の箱を選びました。「多くの人が望むもの」とは、いわば常識的で、大衆的で組織受けのよいものです。みんなが良いと言うようなベンチャーを始めようとするのですから、その姿勢に根本的な問題があります。大企業の組織的合議の場で、出て来やすい意見は、これではないでしょうか? すなわちベンチャーをやる時良く出てくる意見は、「君の言う事はわかるけど、組織を説得するのはまず無理だ」という意見で、それに流されると、ベンチャーそのものの評価よりも、人がどう考えているか、ということにばかり目が行くことになりましょう。

これではベンチャーを始められはしても、絶対成功することはありません。BT4月号で指摘させていただいたPVP(Programmed Venture Project)の第一項目の「個人的想いを養う」という部分は、この事です。結果は人によって違っていて良く、個性的で結構です。皆の意見に惑わされてばかりでは成功はおぼつきません。この自分のはっきりしない選択に対するシェイクスピアの辛辣な答えは、頭蓋骨と「輝くものすべて金ならず(All that glisters is not gold)」です。

銀の箱の銘:「私を選ぶものは、自分自身に値するものを手に入れるだろう」

アラゴン大公が間違って選んだのが、銀の箱です。これは、自分に値するだけのものしか手に入れられないので、大切な価値というものを生み出そうとしていません。仕事で言えば、付加価値のないものをさも価値があるかのように騒いで単に取引をする人です。騒げばそれだけで取引は行われるでしょうが,何かが創造されている訳ではありません。バブル期の資金をぐるぐる回すだけで大儲けをした、何も産み出さない当時の金融マンのことでしょう。わいわい騒ぐだけのベンチャーでは、結局何もありません。

最終的にベンチャーは一生懸命になって社会の中に何かを産み出して行くことでなければなりません。本物のエンジニアの時代が来たと思いませんか? この箱を選んだ者(バブルに踊った金融マンたち)に対するシェイクスピアの答えは、阿呆の絵と、「七回考えればわかることだが、影にキスする阿呆がいる」というメモです。

鉛の箱の銘:「私を選ぶものは、その持っているすべてを出し、人生をかけなければならないだろう」

美女を妻とする正しい箱は、鉛の箱なのですが、要するにシェイクスピアは、「見かけに惑わされず、空騒ぎをせず、すべてを投げ出す覚悟で人生をかけなければ、本当のベンチャーは成功しない」と助言しています。実際、私の長年の経験からしても、ベンチャーは、人生において片手間でできる作業ではありません。ただし、ここで重要な事は、かけるのは人生であって、BT4月号で指摘した通り、借金の保証人になることではありません。「そこまで人生をかけたんだから、借金の保証人にくらいならないで明日を担うベンチャーの経営者と言えるか、」という間違ったベンチャー論に惑わされませんよう、くれぐれも読者にご注意申し上げます。財務的にはあくまで安全でなければ、人生をかけた開発どころではなくなるのです。

ベンチャー設計のキーワード「独立性の輝き」

ヴェニスの商人からすれば、見かけ華々しい組織的勢力に頼ってベンチャーを起こし、成功しようとしても難しいということでしょう。ベンチャー投資を専門とするベンチャーキャピタリストにも同じ事が言えます。

「独立」という表現とも関係する事ですが、既存の組織に頼ったベンチャー会社の新設は、一見安全なようですが、大成功は困難です。世界のベンチャーキャピタルの世界でも、「資本独立性の高さ」の必要性は常識です。ここでもまた日本人の自虐精神が頭をもたげて、アメリカは独立の国で日本は敗戦国、という次元の話ではありません。これは、資本主義の仕組みから自動的に導かれる話で、明治以来の商法によって、どんな会社の取締役も、取締役である以上、?善管義務?忠実義務?競業避止義務?利益相反取引の禁止、という義務があるということで、異なる会社および取締役同士というのは基本的に独立的でしかあり得ないという事情から来ています。ですから、独立的でないプロジェクトというものは組織上の限界があります。投資家にとって魅力がありません。

例をあげましょう。あなたが電子メーカを辞めて起こしたとしましょう。その辞めた会社が資本を出してくれる、ということは、電子メーカが株主になることですが、仮に20%資本を出してくれたとしましょう。大手の電子メーカが資本を出す、ということは、エンジニアのあなたが世間から評価された、と誇らしく思うかもしれません。また、大手企業が出資していた方が、世間からの信用が高まるのも事実です。しかし、あなたは会社を辞めて、電子メーカの関連会社になったという事で、この大事な資本独立性が犠牲になります。当然大手電子メーカには、「関係会社管理規定」というものがあり組織的に関与してきます。これは「従業員ベンチャー独立制度」という名前がついていようがなかろうが、事態は同じです。ベンチャーに一番重要な事は「独立性」です。逆にいいますと、独立性の高さが、外部の投資家からの大きな評価につながります。投資家から見ますと、独立性を侵されずに起業できただけでも、その事実だけで評価に値します。(大手企業に出資を受けたと自慢話をするベンチャー経営者は、一流の投資家からは最初から見切られるでしょう。)

この点、4月号で触れたインフォテリア社の去年の独立物語は、ベンチャー独立のあるべき姿を実現しています。ロータス社を円満独立したインフォテリア社の幹部は、ロータス社から出資を受けず、自らの資本で会社を創設しています。退職する会社と円満な関係を維持すると言う事と、資本を受け入れるということは、まったく次元の異なる話です。会社を退社しても、当然長年勤めた会社との関係は断ちがたいものがありましょう。人間関係もあります。だからこそ、かえって「資本独立性」をしっかりと築く事、これが独立後最初の重要な仕事となります。

エンジニアの方々は、こういう話は苦手かもしれませんが、この事だけは頭にいれておいてください。また、皆さんエンジニアが付き合っているシリコンバレーの友人のベンチャーを思い出してみてください。IBMやIntelとかマイクロソフトの資本を受け入れて創業しているでしょうか?彼らは、独立性の重要性を良く知っています。(ただ、売却を目当てに最初から計算づくで資本を入れる事はあります。)

この資本独立性の見地から、独立ベンチャーキャピタルの資本調達が創業ベンチャーにとってのカギであることが理解できれば、シリコンバレーのベンチャーキャピタルが重要だと言われている本当の理由が理解できるでしょう。

いずれにせよ、今一度「独立性」というものに対する価値の高さをエンジニアの皆さんに認識していただきたいと思います。

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)投資事業有限責任組合
ベンチャーキャピタリスト 村口和孝
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